ミルキィホームズ
ユニット・ミルキィホームズのラストライブが決まり
事実上の所謂【解散】が発表された2月
中野サンプラザでただただ悲しくてボロボロ泣いてしまったあの日から
早いものでもう4ケ月が経ちました。
自分は文章が苦手なのでうまいこと伝えられる気がしないのですが
せっかくこういったブログ?を書き始めたので書いておこうと思います。
自分にとって初めてのミルキィホームズは
2010年2月6日
「エリーを探せ!ミルキィホームズ声優オーディションツアー全国決勝大会」の
ニコニコ生放送でエリー役を決めるオーディションを見たのが最初でした。
自分語りになってしまい申しわけないのですが、その当時私は勤めていた
会社でひどく心をすり減らしていて、その為かわからないのですが病気もして
人生で初めての手術+入院をして自宅で療養中でした。
それまで絵を描くのもアニメや漫画を見るのも好きでしたが
自分なんかがそれを仕事にできるほど甘くはないだろうと、
仕事できるものだと思えずにいました。
ただ好きでもない仕事をしてつらい思いをして病気もして
このままそれがつづいていくのか、それでいいのか?
これからどうしようかと考えながらもぼんやりと過ごしていた時に
友人から教えてもらいこの生放送を見ました。
オーディションに臨むキラキラした女の子たち
今から始まる新しいコンテンツをつくるため楽しそうに自分たちのキャラクターを
説明したり演じたりする女の子、ささえるプロデューサーさん、
生き生きとしたキャラクターを描くイラストレーターさん
全部がキラキラしていました。
その時書いた絵がまだpixivにあったりします…
とても今では見れたものではないのですが、せっかく最古のミルキィホームズタグを
貰ったので消せずにいます…笑
これがきっかけの1つで私はその後、退職して専門学校に入り、
ゲーム会社に入社して、いま絵を仕事にしてごはんを食べています。
ミルキィホームズというプロジェクトが走っている道のすこし後ろから、
彼女たちの後ろをみて8年間自分なりに走ってきたつもりです。
(こうやって文章にするととてつもなく恥ずかしい…)
エリーの声が生まれた思い出の地、
中野サンプラザでラストライブが発表された時
なぜだかとても悔しかった。
自分は応援は足りていたのか?妥協したときがあったんじゃないか?
もっと自分にできることはなかったか?どうにかできるだけの力量をつけていれば…
でも自分1人にできることなんで限られているし、
自分どうこうじゃないことも同時にわかっていたので、
自分の存在の小ささにとことん嫌になり、悔しかった。
あと1年
2月の時点では全然ピンとこなかったその数字
先日の日野でミルキィホームズが示してくれたラストライブへの道を聞いて
やっと見えた気がしました。
もう7か月とちょっとしかないこの道を1人のファンとして
できることは少ないかもしれないけど、自分にできることをやりたいと思いました。
振り返れば楽しい思い出ばっかり
楽しくてかわいくて面白くて世界がカラフルな
ミルキィホームズという作品の全部が好きです。
自分もコンテンツを生み出す側になるきっかけをくれたのはミルキィホームズでした。
そのミルキィホームズの一旦のゴールを最後まで見守って、
自分がこれからつくるコンテンツ、今作っているコンテンツに
ミルキィホームズの生きざまみたいなものを
のこしていきたいな…と思います。
(大体、本名でやってるのでここで書けないけど…)
あっ…あと最近のミルキィ絵をpixivにアップしました…
(こんな文章の後だと、とにかくなんでも恥ずかしいな…
文章書く人ってやっぱすげえや…)
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